はじめに 

前言

私の長女、亜也。

昭和三十七年七月十九日、誕生。

昭和六十三年五月二十三日午前〇時五十五分、二十五歳という若さで永眠。

我的長女,亞也

誕生於昭和三十七年七月十九日,於昭和六十三年凌晨零點五十五分,以二十五歲這樣的青春年華長眠。

花の一生にたとえるなら、堅いつぼみがようやくふくらみ、だんだん柔らかくなっていつ咲くのかと期待される、そんな一番夢のある中学三年の時、亜也は、脊髄小脳変性症という難病にとりつかれた。

   如果用花來比喻她的一生,她就像是堅強的花苞,歷經千辛萬苦好不容易含苞待放,溫柔的被期待著何時能夠綻放。正當擁有著這樣美好的希望,在國中三年級的時候,亞也卻罹患了所謂脊髓小腦突變的罕見疾病。

この病気は、体の運動神経を支配している小脳・脊髄の病変によって、体を動かす諸機能に障害が起きるようになる。手や足を動かしたり、話したり、食べたりする機能が徐々に消失していき、最後には、呼吸運動の停止か衰弱による合併症いちのために、多くの場合、死亡する。

這種疾病的原因,是因為支配著身體運動神經的小腦脊髓產生了病變,而使得掌管身體動作的各個機能產生了障礙。舉凡像是手或腳要作動作,要講話,要吃飯等動作功能都會逐漸尚失,到最後,因為呼吸運動功能也停頓無法自主身體變得衰弱而產生併發症,絕大部份情況到最後,面對死亡。

しかも、知能は発病前と変わりなく健全な働きをしているために、真綿で首を絞めつけられるように次々に起こってくる障害をいやおうなしに受け止めなければならない。

雖然說,智力在發病前還不會有所變化,但為了能穩固的做事情,像那樣用絲棉讓頭綁住支撐著,但接二連三病情惡化所引發的身體障礙不管願不願意都只能接受。

このように、非常に残酷な病気であるのに、現在の医学では、原因も治療法もまだ究明中の段階だということである。

像這樣明明是非常殘酷的病症疾病,但在現有的醫學當中,原因與治療方法都還在研究階段。

亜也は、「私の人生は病気によって狭く細くなってしまったけれど、これが自分に与えられた道なら精一杯生きていこう。つらいこと、悲しいこ、悔しい思いも乗り越えていこう」と自分を励まし、次第に細くなっていくわが身に涙を流すそのたびに、心を強くしていった。

亞也:「我的人生因為這個疾病而變得狹窄有限,現在我給自己一條道路的話,我會竭盡所能的活下去。艱難的事、悲傷的事、就算是令人懊悔的我也要走下去」這是亞也自我的勉勵,眼看著自己逐漸變得瘦弱的身驅,每流一次淚,心就會又變得更加堅強。

仲良しの友達、信頼を寄せていた医師、優しい家政婦さんなど、いつもいい人と出会うことができた。亜也は、そういうたくさんの人たちに支えられ、ただひたすらに、自分の人生を見きわめながら、一日一日を大切に、与えられた生命を全うしようと精いっぱい生き続けた。

感情深厚的朋友、寄予信賴的醫生、溫柔體貼的看護阿姨…等等,總是遇到很好的人。亞也被這麼多人支持著,只管一邊認清自己的人生,每一天都很重要,為了賦生命一個完整性,竭盡所能的要活下去。

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